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2014年7月15日

日本の「稼ぐ力」を取り戻す ~成長戦略の改訂~

アベノミクスの先行きを占う新しい成長戦略が決まった。

新成長戦略は、昨年まとめた「日本再興戦略」の改訂版である。昨年の成長戦略については、包括的な成長促進策としての方向性を評価する声は高かったものの、掲げられた高い目標を実現するための具体策は小粒で力不足という見方が多く、とりわけ雇用・人材分野、医療・介護分野、農業分野における一層の構造改革が必要であるとされた。

この反省を踏まえ、改訂成長戦略は、昨年取り残した岩盤規制(注1)改革に一定の道筋をつけるとともに、日本経済の持続的な成長には、日本経済全体としての生産性を向上させ「稼ぐ力(=収益力)」を強化していくことが不可欠であるとして、企業や個人の生産性向上を後押しする姿勢を鮮明に打ち出した。岩盤規制に穴をあけ、どんなに企業や個人が活動しやすい環境を整えても、経営者が「稼ぐ力」の向上を目指して、大胆な事業再編や新規事業に挑戦しなければ、いつまでも新陳代謝が進まず、単なるコスト抑制を超えた、日本経済の真の生産性向上にはつながらない。最大のポイントは、企業経営者や国民の一人一人が自信を取り戻し、未来を信じ、イノベーションに挑戦する具体的な行動を起こさせるかどうかにかかっている、というわけだ。

新たな施策の柱は、法人実効税率の引き下げと企業統治(コーポレートガバナンス)の強化である。

法人税については、実効税率を現在の35.6%(東京都)から数年で20%台まで引き下げることを目指す。減税が実施されれば企業の手元には相当の資金がたまることになるが、こうして増えた資金を企業が手元に抱え込んでしまっては、次の成長の見取り図は描けない。その資金を投資、賃金、配当に回すよう促すべきだということになる。改訂成長戦略は、コーポレートガバナンスの強化で経営者の背中を押そうとしている。今後、各企業は、社外取締役の積極的な活用を具体的に経営戦略の進化に結び付けていくとともに、長期的にどのような価値創造を行い、どのようにして「稼ぐ力」を強化してグローバル競争に打ち勝とうとしているのか、その方針を「コーポレートガバナンス・コード」の策定を通じて明確に指し示し、投資家との対話を深めていくことがこれまで以上に求められることになる。同時に、銀行、機関投資家等が、企業の長期的な価値創造と「稼ぐ力」の向上という大きな方向に向けて、積極的な役割を果たし、また、公的・準公的資金の運用機関を含む機関投資家についても、適切なポートフォリオ管理と株主としてのガバナンス機能をより積極的に果たしていくことが期待されている。

新陳代謝を促進し、収益性・生産性の高い分野に投資や雇用をシフトさせていくためには、既存の企業に変革を迫るだけでは不十分である。ベンチャーが次々と生まれ、成長分野をけん引していく環境を整えられるかどうかが非常に重要である。改訂戦略においては、ベンチャー企業と大企業のマッチングを促すための「ベンチャー創造協議会」の創設、政府調達におけるベンチャー企業の参入促進、成長資金の供給促進についての関係省庁による検討の場の設置などの諸施策を講じてベンチャー・創業を加速化させるとしている。

日本経済の持続的成長のためのもう一つのカギは、人口減少社会への突入を前に、いかにして労働力人口を維持し、また、労働生産性を上げていけるかどうかということである。改訂戦略は、昨年の成長戦略で残された課題の一つであった「世界でトップレベルの雇用環境」を作り出すことで、この課題に対処するとしている。女性の更なる活躍促進、柔軟で多様な働き方の実現、外国人材の活用が新たな施策の柱となる。

女性の更なる活躍促進については、文科・厚労両省共同で2019年度末までに約30万人分の放課後児童クラブの受け皿を拡大し、必要な保育士を確保するために「保育士確保プラン」を策定するなど子育て中の女性が働ける環境整備を一段と促進するとともに、「2020年に指導的地位に占める女性の割合30%」を達成するために、女性の活躍を促進することを目的とする新法の検討を開始し、2014年度内に結論を得ることとしている。

残された岩盤規制改革の一つである「働き方改革」については、職務等を限定した働き方や、時間ではなく成果で評価される創造的な働き方を導入し、さらに、聡明でグローバルにも通用する紛争解決システムの構築に向けて検討を開始するとした。働き方改革のための労働時間制度の見直しについては、労働基準監督署による監督指導を徹底するなど働き過ぎ防止のための取り組みを強化することを前提に、育児・介護等の事情がある労働者のため、早く仕事を終えても、年次有給休暇を活用して報酬を減らすことなく働くことが出来るよう現行のフレックスタイム制を見直し、また、企業の中核部門で裁量的に働く労働者の創造性発揮のために、現行の裁量労働制についてその対象範囲、手続等を見直す。さらに、一定の年収要件(例えば、少なくとも1000万円以上)を満たし、職務の範囲が明確で高度な職業能力を有する労働者を対象に、時間ではなく成果で評価される新たな労働時間制度(ホワイトカラーエグゼンプション)を創設する。また、職務等を限定した多様な正社員の普及・拡大を図るため、労働契約の締結・変更時の労働条件の明示、正社員との相互転換、均衡処遇について、労働契約上の解釈を周知徹底するとともに、「雇用管理上の留意点(導入モデル)」を公表する。加えて、わが国の雇用慣行がとりわけ諸外国から見て不透明であるとの問題の解消や中小企業労働者の保護、さらには対日直接投資の促進に資するために、予見可能性の高い紛争解決システムの構築を図ることとし、2014年度中に国内外の関係制度・運用に関する調査研究を行い、その結果を踏まえて、2015年中に労働紛争解決システムの在り方につき幅広く検討するとした。

外国人材の活用については、外国人技能実習制度の対象職種の拡大・実習期間の延長、介護福祉士等の国家資格を獲得した外国人の就労を可能にするための制度設計、国家戦略特区における外国人家事支援人材の受け入れなどの諸施策を新たに講じる。

改訂戦略における重要施策の三つ目は、「新たな成長エンジンとなる産業の育成」であり、攻めの農林水産業の展開と健康産業の活性化がその柱となる。

農林水産業については、経営マインドを持つ意欲のある農業の担い手が、企業の知見も活用して力強い農業活動を展開し、活躍できる環境を整備することが重要であり、そうした環境と農地集積バンク(注2)があいまって日本の農地が最大限有効に活用され、若者の地方回帰の契機となり、力強い農業の展開に繋がることが重要であるという観点から、今回の改訂戦略では、①農業委員会・農業生産法人・農業協同組合の在り方を一体的に見直すことで、自主性の発揮とスピード感のある農業経営を可能にする、②流通とマーケティング、6次産業化を含めた国内のバリューチェーンを再構築する、③バリューチェーン(注3)を国際市場にもしっかり連結するとともに新たな国内市場を開拓することを新たな施策として掲げている。

医療介護分野については、①医療介護等を一体的に提供するための新たな法人制度(非営利ホールディングカンパニー)の創設等により、医療介護サービスの効率化・高度化を図り、医療介護の持続性と質の向上を両立させる、②健康増進・予防へのインセンティブを高めることにより公的負担の低減と公的保険外の多様なヘルスケア産業の創出を両立させる、③患者の申し出による新たな保険外併用の仕組み(「患者申し出制度」)の創設、治験の参加基準を満たさない患者の治験薬へのアクセスを高めるなど保険外併用療養費制度の大幅な拡大により多様な患者ニーズへの対応と最先端技術・サービスの提供を両立することで、社会保障の持続可能性の確保、質の高いヘルスケアサービスの提供、健康産業の活性化の同時実現を目指す。

これまでのところ、改訂戦略に対する経済界や投資家の反応はおおむね好評のようであるが、労働市場改革や農協制度などの具体的な制度設計はこれからである。労働市場改革については働く時間ではなく成果に対して賃金を支払う「ホワイトカラーエグゼンプション」を導入する方針は打ち出されたが、収入基準は「少なくとも1000万円以上」と曖昧である。この基準が大きく上がるようなことになれば対象者が限定されてしまい、実質的な効果は薄れてしまう。さらに外国企業などが注目する「労働紛争解決システムの構築」については、来年にかけて広く議論されるが、方向が決まるのはまだ先の話である。農業分野でも、農業の大規模化の障害とされていた農協の改革は盛り込んだが、企業の農地所有の解禁は5年後に再検討することになった。医療分野でも、「患者申し出療養」制度は、実施医療機関の範囲が限定されれば、使い勝手が大きく違ってくる。岩盤規制改革が所管官庁主導で骨抜きにされる懸念もあり、それだけに、年末までの改革の制度設計を十分に注視しておく必要がある。

(注1) 岩盤規制は、新たな参入や規制緩和を嫌う既得権益を持つ関係者が規制当局や族議員と組んで強く反対してきたため緩和や撤廃が容易にできず、が長年後回しにされてきた規制のことをいう。とくに医療・農業・雇用・教育などの分野で多く見られる。
(注2) 農地中間管理機構のことで、分散し錯綜した農地を担い手ごとに集約化する必要がある場合に、農地を借り受け、基盤整備などの条件整備を行ったうえで、担い手(法人経営・大規模家族経営・企業など)がまとまりのある形で農地を利用できるようにして貸付を行う。
(注3) バリューチェーン(Value Chain)とは、「調達→生産→物流→販売」といったサプライチェーンや、技術開発、人材育成などの企業活動が一連の流れの中でその都度、付加価値(バリュー)を生み出していくものととらえ、そうした付加価値を生み出す企業の活動を網羅して描き出したものである。価値連鎖と邦訳される。

大橋 善晃
モークワン顧問
日本証券経済研究所特別嘱託調査員
日本証券アナリスト協会検定会員
(元日本証券アナリスト協会副会長)

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